学術活動

2026.06.02

矯正治療と歯周病の関係 ― 歯周病があっても矯正はできるのか


はじめに ― 「歯周病がある」と矯正を断られた方へ

歯並びの改善を希望して矯正歯科を受診したところ、「歯周病があるので矯正治療はできません」と言われた経験をお持ちの方がいらっしゃるかもしれません。確かに、歯周病が存在する状態での矯正治療には特有のリスクが伴います。しかし、「歯周病があるから矯正治療ができない」というのは正確ではありません。

正しくは、「歯周病がコントロールされていない状態では矯正治療を開始すべきではないが、適切な歯周治療によって炎症がコントロールされれば、矯正治療は可能であり、むしろ歯周病の改善にも寄与し得る」というのが、現在の学術的なコンセンサスです。

当院は、歯周病専門医の知識と矯正歯科の技術を統合した包括的矯正治療™を実践しており、重度の歯周病に罹患された方の矯正治療にも豊富な経験を有しております。本稿では、矯正治療と歯周病の複雑な関係について、科学的な視点から解説いたします。


歯周病が矯正治療に与える影響

歯周組織の支持力と矯正力

矯正治療は、歯に適切な力(矯正力)を加えることで、歯を歯槽骨内で移動させる治療です。この歯の移動は、歯根膜を介した骨のリモデリング(骨吸収と骨添加のバランス)によって生じます。

健全な歯周組織を持つ歯では、このリモデリングが生理的に進行し、歯は計画通りに移動します。しかし、歯周病によって歯槽骨が吸収され、歯周組織の支持力が低下した歯に矯正力を加えると、以下のような問題が生じる可能性があります。

歯周組織のさらなる破壊:炎症が存在する状態で矯正力を加えると、骨吸収が加速され、付着の喪失がさらに進行するリスクがあります。これは、炎症性サイトカインと矯正力による力学的刺激が相加的に作用するためと考えられています。

歯の予想外の移動:骨の支持が不均一な場合、矯正力に対する歯の反応が予測困難になり、意図しない方向への移動やティッピング(傾斜移動)が生じることがあります。

歯根吸収のリスク増大:歯周病による骨吸収と矯正力による歯根吸収が重なることで、歯根の短縮リスクが高まる可能性があります。

歯周病による病的歯の移動

一方、歯周病は矯正治療なしでも歯の移動を引き起こします。歯周病により歯槽骨の支持が失われると、咬合力や舌圧、口唇圧などの日常的な力によって、歯が徐々に移動します(病的歯の移動:pathologic tooth migration)。

病的歯の移動により生じる典型的な変化として、以下のものがあります。

  • 前歯のフレアーアウト(唇側への傾斜・空隙の開大)
  • 臼歯の傾斜・挺出
  • 咬合平面の乱れ
  • 正中離開(上顎前歯間のすき間)

これらの変化は、審美的な問題だけでなく、咬合の不調和を引き起こし、さらなる歯周組織の破壊を促進する悪循環を形成します。


歯周病患者さまに矯正治療が必要な理由

歯周病と矯正治療の相互作用

一見すると矛盾するように思えるかもしれませんが、適切に管理された条件下での矯正治療は、歯周病の治療成果を向上させる可能性があります。

清掃性の改善:歯列不正は、プラーク蓄積の温床となります。叢生(歯の重なり)があると、歯ブラシや歯間ブラシが到達できない部位が生じ、セルフケアの質が低下します。矯正治療により歯列を整えることで、すべての歯面へのアクセスが改善され、プラークコントロールの効率が大幅に向上します。

咬合力の適正化:歯列不正に伴う咬合の不調和は、特定の歯に過剰な力を集中させ、咬合性外傷を引き起こします。矯正治療により咬合力を均等に分散させることで、歯周組織への力学的負担を軽減し、歯周環境の改善に寄与します。

骨欠損形態の改善:矯正治療による歯の移動に伴い、歯槽骨のリモデリングが生じます。適切な方向への歯の移動は、骨欠損形態の改善をもたらし、歯周再生療法の予知性を向上させる場合があります。

審美性と心理的効果:歯周病による病的歯の移動は、患者さまの外見に大きな影響を与え、社会的・心理的なストレスの原因となります。矯正治療による歯列の回復は、患者さまのQOL(生活の質)の向上に直結します。


歯周病を有する方の矯正治療 ― 当院のアプローチ

第1段階:徹底的な歯周治療

歯周病を有する方の矯正治療において、最も重要な原則は「炎症のコントロールが先」ということです。

矯正治療の開始前に、歯周基本治療(口腔衛生指導、スケーリング・ルートプレーニング)を徹底的に行い、歯周組織の炎症を消退させます。BOP(プロービング時出血)が全体の20%以下に低下し、深い歯周ポケットが可能な限り改善された段階で、矯正治療への移行を検討します。

当院では、必要に応じて非外科的歯周再生治療™(トリプルペリオ)を実施し、矯正治療開始前に歯周組織の再生を図ります。これにより、矯正治療中の歯周リスクを大幅に低減できます。

第2段階:歯周状態を考慮した矯正力の設定

歯周病既往のある方の矯正治療では、健常歯周組織を持つ方と同じ矯正力を用いることはできません。

歯槽骨が吸収された歯では、抵抗中心(center of resistance)の位置が根尖側に移動するため、同じ力を加えても歯の動き方が異なります。具体的には、歯冠部に通常の矯正力を加えると、歯体移動ではなく傾斜移動(ティッピング)が生じやすくなります。

当院では、以下の点に配慮した矯正力の設計を行っております。

弱い矯正力の使用:歯周組織への負荷を最小限に抑えるため、通常よりも弱い力を用いて歯の移動を行います。

力のベクトルの調整:抵抗中心の位置変化に対応するため、力の作用点や方向を精密に設計し、可能な限り歯体移動を実現します。

段階的な歯の移動:一度に大きな移動を行わず、段階的に歯を移動させることで、歯周組織への負担を分散させます。

第3段階:矯正治療中の歯周管理の継続

矯正治療中も歯周管理を中断してはなりません。当院では、矯正治療の全期間を通じて定期的な歯周精密検査を実施し、歯周状態の変化を継続的にモニタリングいたします。

矯正装置(ブラケットやワイヤー)の周囲はプラークが蓄積しやすい環境となるため、通常以上に口腔衛生管理が重要です。歯科衛生士による専門的なクリーニングと、患者さまのセルフケア技術の向上を並行して行います。

歯周状態の悪化が認められた場合には、矯正力を一時的に軽減するか、矯正治療を一時中断し、歯周治療を優先します。

第4段階:保定と長期メインテナンス

矯正治療完了後の保定管理は、歯周病既往のある方にとって特に重要です。歯周組織の支持力が低下した歯は、保定を怠ると後戻りが生じやすい傾向があります。

当院では、固定式リテーナーと可撤式リテーナーを症例に応じて使い分け、長期的な歯列の安定を図ります。保定期間中も歯周管理を継続し、矯正治療と歯周治療の双方の成果を維持いたします。


矯正治療が歯周組織に与えるポジティブな効果

歯周病患者さまの矯正治療に伴うリスクについて述べてまいりましたが、適切に管理された矯正治療が歯周組織に与えるポジティブな効果も強調すべきです。

歯間乳頭の回復

病的歯の移動によって開大した歯間の空隙を矯正治療で閉鎖すると、歯間乳頭(歯と歯の間の三角形の歯肉)が回復する場合があります。歯間乳頭の喪失は「ブラックトライアングル」と呼ばれる審美的問題を引き起こしますが、歯の位置の適正化により改善が期待できます。

骨内欠損の改善

歯周病による垂直性骨欠損(骨内欠損)を有する歯を、適切な方向に矯正的に移動させることで、骨欠損の形態が改善されることがあります。これは、歯の移動に伴う骨のリモデリングによるもので、矯正治療と歯周再生療法を組み合わせることで、より良好な歯周組織の回復が期待できます。

咬合性外傷の解消

不正咬合による咬合性外傷は、歯周組織の破壊を促進する共同因子です。矯正治療によって咬合を是正し、すべての歯に均等な力が分散されるようになると、咬合性外傷が解消され、歯周組織への力学的負荷が軽減されます。これにより、歯周治療の長期的な成功率が向上します。

修復・補綴治療の予知性向上

矯正治療により歯が理想的な位置に移動することで、その後に行われる修復治療や補綴治療(クラウン、ブリッジ、インプラント)の設計が容易になり、治療の予知性と耐久性が向上します。


重度歯周病への矯正治療 ― 包括的アプローチ

重度の歯周病(ステージIII〜IV)に罹患された方の矯正治療は、きわめて高度な臨床判断を要します。

当院では、重度歯周病を有する患者さまに対して、3次元的歯周組織再生療法とO-PRO法を組み合わせることで、歯肉退縮の改善、歯根露出部の被覆、骨欠損の再生を行いながら矯正治療を進めるアプローチを実践しております。

このような包括的なアプローチにより、他院で矯正治療が困難と判断された症例に対しても、安全かつ効果的な治療を提供できる可能性があります。

抜歯基準の見直し

従来、重度の歯周病で歯槽骨の大部分が失われた歯は、矯正治療において抜歯の対象とされることが一般的でした。しかし、当院では非外科的歯周再生治療™やO-PRO法による歯周組織の再生を行うことで、従来の抜歯基準を見直し、可能な限り天然歯を保存した上での矯正治療を追求しております。

もちろん、保存が不可能と判断される歯もあります。その場合でも、矯正治療によって欠損部周囲の骨条件を整えた上でインプラント埋入を行うなど、包括的な視点での治療計画を策定いたします。各歯の予後を科学的に評価し、保存・抜歯の判断を患者さまとともに慎重に行ってまいります。


歯周病と矯正治療に関するよくある疑問

Q. 歯周病があると矯正治療にどのくらい時間がかかりますか?

歯周病を有する方の矯正治療は、歯周基本治療の期間が追加されるため、全体の治療期間は健常歯周組織を持つ方と比較してやや長くなる傾向があります。歯周基本治療に通常2〜6か月、矯正治療本体の期間は症例により異なりますが、治療中も歯周管理を継続するため、来院頻度は月1〜2回程度となります。

Q. 矯正治療中に歯周病が悪化することはありませんか?

適切な歯周管理が行われていれば、矯正治療中に歯周病が悪化するリスクは低いとされています。当院では矯正治療の全過程を通じて歯周状態をモニタリングしており、悪化の兆候が認められた場合は速やかに対処いたします。


おわりに ― 歯周病と矯正治療は「敵」ではなく「味方」

歯周病と矯正治療は、一見すると相容れない関係のように思えます。しかし、適切な管理のもとで行われる矯正治療は、歯周病の治療成果を向上させ、長期的な口腔の健康維持に大きく貢献します。

当院では、「歯周病があるから矯正できない」ではなく、「歯周病があるからこそ矯正治療が必要」という視点に立ち、歯周治療と矯正治療を統合した包括的矯正治療™を実践しております。

歯周病を理由に矯正治療を諦めていた方、他院で治療を断られた方も、ぜひ一度当院にご相談ください。